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【第6回】昔のアルパインクライミングルートと、今のあるべき姿

文・写真=菊地敏之(アルパインクライミング推進協議会会長)

 

  まず「整備」という言葉が悪い。あるクライマーにそう言われた。


 確かに「整備」とだけ単純に聞くと、いかにも遊園地風に、危険物を取り除き、誰でも安全に楽しめるように人工的な施設にしてしまう、という印象がなくはない。ピカピカの支点がばりばりと打ち足され、アプローチには遊歩道の手すりのようにフィックスロープが張られる。この団体(アルパインクライミング推進協議会)はあちこちから金を集めてそういうことをやろうとしているのか。そう思う人も多いかもしれない。


 また逆に、この団体のメンバーを見て、この連中は自分が登れるからと、自分が必要としない支点は平気で抜きまくる、と考えている人がいるとも聞く。実際、設立当初にも、この団体の代表は全国各地でそういうことをやってきた男だ、そんな輩のやることは賛同できない、というメールをいただいたこともあった。いったいどこでどんな情報を得てきたのか……と、そのときは呆れたが(私がボルトを抜いてフリー用のものに替えたのはベルジュエール1p目のみ、ハーケンを抜いたのはアレアレアの5p目のみだ。いずれも、今も人工でも登れる)、それと同時に、世間には確かにそういうイメージがあるのかもしれない。これは最初に説明しておく必要と義務がある、とも思わざるをえなかった。


 そこでまず言っておくと、我々の考える整備とは、上に述べた二つのような極端なことをやるわけではない。あくまで中庸を採り、今のアルパインクライミングの潮流に合わせて、そのルートの個性を損なわないように「再生」させようというだけだ。ボルトを打ち替えるか打ち替えないか、抜くか抜かないか、草付や浮き石を撤去するかしないか、などなどはそのルート一つ一つの個性を尊重しながら現状を見つつ判断したいし、その判断も単独一方的なものではなく、極力多くのクライマーの意見をすくい上げながら行なうつもりだ。それをまずご理解いただきたい。

 

 ということでさて本題。今「再生」と書いたが、それはいったいどこに向かっての再生かということだ。


 そもそも我々がこうした活動をしたいと思ったのは、70~80年代のアルパインクライミングが非常に活発だったころと比べて、今の岩場、あるいはルートがなんともひどい状態になっているのを近年あちこちで見るようになったからだ。個人的な話では、私は数年前から再びアルパインルートに(ぼちぼちではありながら)行くようになっていて、そこでの様相は、かつて知ったるものから実に驚くべきものへと変わっていた。昔、スピード継続登攀の一環で駆け登ったような一ノ倉沢烏帽子奥壁のルートはビレイ点すらないものもあったし、幽ノ沢の中央壁もブッシュだらけでとても取り付ける状態ではなかった。剱や穂高滝谷などもアプローチがたいへんなことになっていて、当然、岩場には誰一人いなかった。近年、人気ルートばかりに人が集まり、そこだけが飽和状態だ、という話もずいぶん前から聞いていたが、これではそうなるのも仕方ないだろうと思った。


アルパインルートにありがちなビレイ支点。これでも昔の人は多大な信頼を寄せていた。
同。これはあまりにひどい
同。これはかなりよいほう?

 それに比べると昔はよかった。というか、正確に言えば「楽」だった。岩場に行けばあらゆるルートに支点は必ずあったし、壁の状態も、草付、浮き石などあるにはあったが、人がしょっちゅう登っているだけあって、一般的に対処できる範囲内だった。少なくとも登攀不可能ということはほぼなかった。


 こうしたなかでクライマーたちは一年間に何十本という単位のアルパインルートを登って経験を積み、一人前に育っていった。

 

 しかし、そうした70年代のアルパインクライミングルート、エリアが冷静に見て最善のものだったかというと、これはこれで大いに疑問も湧く。というのも、当時からあまりに人工的になってしまっていたルートはあったし、難しさ、悪さも、本来のアルパインクライミングの要素ではない、理不尽と思えるものも数多くあった。それに少なからず不満も感じていたからだ。


 まず前者は、言うまでもなく支点の過剰な打ち足しだ。これは今でもそうだと思うが、一ノ倉沢の南稜、中央稜などは、どうしてこんなに増えてしまったんだというくらい、ハーケン、ボルトが乱打され、新人として登ったときですら、すでに呆れてしまった。屏風なども下から見てもベタ打ちにされたハーケン、ボルトにスリングなどが多数汚らしく垂れ下がり、せっかくこのすばらしい大岩壁を登りに来たのに、まったく白けてしまう。


全国どこにでもあるボルトラダー。これを、はたしてクライミングと呼ぶべきなのか
こうなるとまったく理解できない

 また後者では、支点の老朽化ということが挙げられる。昔打たれたハーケンが腐っていたり、60年代に打たれたボルトが錆びついて痩せ細っていたりということが非常に多く、それをクライマーたちは甘んじて受け入れて登らなければならなかった。しかも、それがそのルートの難しさの要素になっている、時にグレードにまで影響している、などと言われれば、それはちょっと理不尽に思えた。それらを打った先人に登らせてもらっている立場とはいえ、これがクライミングの“難しさ”だといわれると、それは少々違うような気がしてならなかった。


 ちなみに、このころはボルトといえば細いリングボルトか、よくてRCCボルトで、それは今より冒険的だった、と言う人がいるが、それは間違いだ。というのは、このころのこうしたボルトに対する我々の信頼感というのは、それ以上のものを知らないだけにほとんど絶対的なものだったからだ。ことにそれがピカピカの新品なら、メンタル的にはほとんどハンガーボルトと同じレベルで捉えていたように思う。


 だから、それが古くなって強度的に信頼できなくなり、それがそのルートの個性だとするのは、当時からなんとしても同意できなかった。ガイドブックなどに書かれた「古い支点の対処が問題になる」などという文言も納得できなかった。


 さらにルートそのものに違和感を覚えることも、この時代は多かった。まずまったく理解できなかったのは例のボルトラダールートで、これも下から見上げただけで登る気すら起きないものが少なくなかった。これなら鷹取山で登ってたって同じことだろう、と高い交通費をなんとか捻出してきた貧乏学生としては憤りすら感じた。またライン取りも意味不明なものが多く、登っていてなぜこっちに行かないんだ?とか、なんでこんな所にルート作ったんだ?といえるようなルートも多々見受けられた。


 などなどということを考えれば、この時代(70年代末期)、日本のアルパインクライミングは確かに活気にあふれていてやりがいのあるものではあったものの、一方で、何か違うことをしているのではないかと感じることも少なくなかった。だからこの時代、またはもっと以前のルートは一様に意義深い、そのレガシーは残すべきだと考えるのは、私的にはまったく間違っているように思う。


人工登攀の代表的岩場、丸山東壁。ここにはすばらしいルートが多くある代わりに、疑問に思えるルートも少なくない
同じく唐沢岳幕岩。ここにも意味不明なルートは多い

 ただ、繰り返しになるが、それでもあの時代の活気はすばらしかった。また環境もよかった。我々は新人のころから、国内の身近な岩場でアルパインクライミングを心おきなく追求することができたし、モチベーションも次から次へとかき立てられた。その点では今の若い世代は、少々かわいそうに思えなくもない。今、若いアルパイン志向のクライマーと話をしていても、こうした話にはなかなかならない。何をしたらいいかがまず見つけられていないし、活気も正直希薄に映る。しかしそれは彼らが悪いのではなく、そうした環境がない、ということが一番の原因のように思える。


 環境は自分で作るものだ、と厳しい人は言うかもしれないが、我々だって、いや、少なくとも私自身は自分が若いころ、それほどのエネルギーをもっていたとは思えない。ただ当時の恵まれた環境にあやかってきただけのような気がする。確かに今でも高いエネルギーをもち、よい課題に取り組んでいる人はいるにはいるだろう。だが一般レベルでもそれに自然に取り組める環境があるということはやはり大切だし、それがなければこの世界はどんどん狭まっていってしまう、ように感じる。そういった意味でも、岩場の「再生」は急務であるように、私自身は思うのである。

 

再生の方向性


 以上のことを踏まえた上で、では今、岩場の「再生」はどのようにすればよいか。というより、本来ルートとはどのようにあるべきか、ということを考えてみたい。ただしこれはあくまで私個人が考えることで、必ずしも“正しい”、あるいは当協会全体の意見というわけではない。これを叩き台に、多くのクライマーが多くの意見をもってくれればいいと思っている。

 

●ボルトはハンガーボルトにする


 上に述べたように、ボルトが古い=難しい=そのルートの価値、という図式は、まったくナンセンスだと考える。ボルトは確かに「与えられた環境」というものではあるが、そこに余計な負荷を付け足す必要はまったくない。支点が強度的に不安なばかりにフリーで登れず、アブミの出番になってしまうというくらいなら、しっかりした支点に替えて、クライミングの本来のあるべき姿=フリークライミングで挑めるようにしたほうが、そのルートに敬意を払うことになると私は考える。結果、ボルトの数も減らすことができるはずだ。

 

●ボルトの位置は登りながら再検討する


 ボルトはあくまで必要悪であり、それを考えればその数はできるだけ減らしたほうがよいが、必要な所では当然必要だ。だがそれは、そのルートの現在の状況を見極めながら、的確な場所に残す必要がある。場合によってはかつてのラインから離れた所に打つこともあるかもしれない(フリーラインが別途設定された場合など)。ただしその場合も、登りながら、打てる場所に打つようにしたほうがよい。それがそのラインの妥当性を証明することになるし、その後の再登者の賛同も得られるように思える。


 なおボルトラダーに関しては、これも無条件に認める、または否定するのではなく、そのルートまたは岩場に本当に必要なものなのか、妥当性があるのか、個別に見極める必要がある。わずかなブランクセクションを埋めるものなら、それは充分ありえるものだろう。

 

●岩の状態は手を加えるより情報提供を主とする


 アルパインの岩場を、ジムや遊園地のように安全優先で整備する必要はない。浮き石は、ある程度はその岩場の個性としてタッチしないということも考えられる。近年の地震や大雨の影響などからか、なかにはかなり危険なものもあり、それはやはり落としたほうがよい場合もあるが、それも個別に検討する必要がある。また、伸び放題の草付、灌木などは、それがルートを殺してしまっているような場合もあり、これもある程度の整理ということも含め、要検討といえるものだろう。いずれにしても、まずはそういう情報を挙げることが大切で、それによって声は自然に上がってくるものと考える。


きくち・としゆき 1960年、神奈川県生まれ。10代よりアルパイン、フリー両面で活躍。特にヨセミテに足しげく通うほか、アメリカ、ヨーロッパ、アジア各地で活動多数。元『クライミングジャーナル』編集長。主な著書に『新版 日本の岩場』上・下、『日本50名ルート』(いずれも白山書房)、『日本マルチピッチ フリークライミングルート図集』『クライマーズ コンディショニング ブック』『クライマーズ・コンディショニング・ブック』『定本 我々はいかに「石」にかじりついてきたか ―日本フリークライミング小史―』(山と溪谷社)などがある。


この記事は山と溪谷社刊『ROCK&SNOW 102』に掲載された記事を編集・掲載したものです。

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