文=石鍋 礼(アルパインクライミング推進協議会専務理事))
はじめに
2023年11月16日、アメリカ合衆国国立公園局(National Park Service、以下NPS)は「国立公園原生自然地域におけるクライミング用固定支点や固定器具の評価および承認手続き(Evaluation and Authorization Procedures for Fixed Anchors and Fixed Equipments in National Park Service Wilderness)」と題するドラフト書面を発表し、パブリックコメントの募集を開始した(パブリックコメントの募集は2024年1月30日で終了)。
今回、公表された書面は、過去数十年にわたる地道な活動を経て米国のクライミングコミュニティが勝ち取ってきた権利の一部を奪う可能性がある内容となっており、米国のクライミング界に衝撃を与えている。
米国における固定アンカー規制の歴史
本連載の第3回「海外でのアルパインクライミングを取り巻く環境について」でも触れたとおり、米国では1980年代半ば、スポートクライミングの勃興とともに全米各地の岩場でアクセス問題が発生し始め、1985年、アクセス問題に対処するため、アメリカンアルパインクラブ(以下AAC)内にアクセス委員会が設置された。1991年にはアクセス委員会がAACから独立、アクセスファンドが設立された。以後、アクセスファンドでは、連邦政府やNPSとの折衝を重ね、20年以上の歳月をかけて「クライミングは、原生自然地域の利用方法として合法かつ適切なものである」という公式見解をNPSから得ている。
クライミング用ボルトなど固定支点の設置に関しては、2013年にNPSから発令された「Director’s Order #41 Wilderness Stewardship」において「国立公園内においては固定支点や固定器具の新規設置には承認が必要」「固定支点や固定器具の撤去もしくは交換については承認が必要な場合もある」「承認手順の詳細は公園単位で制定される」という規則が示されている。
上記を踏まえてヨセミテ国立公園におけるボルト設置の規則を見てみると、クライミング用のボルトを打つことが公に認められており、2024年4月現在、ヨセミテ国立公園に関してはボルトの設置に関してNPSに対する事前の申請や承認は必要とされていない。
National Park Service「Yosemite Climbing Regulations」より一部抜粋の上、翻訳
ヨセミテ内では、クライミング用安全ボルトの設置はそれが手打ち*で行なわれる限り、認められている。National Park Serviceは、公園内のいかなる場所においても、ボルトおよびその他のクライミング用具の検査やメンテナンス、修繕は行なわない。
上記のシンプルなルールに加え、ヨセミテ内にはコミュニティとしてのボルト設置に関する強固な倫理がある。もし新しいルートにボルトを打つ場合や、既存のボルトを打ち替える場合は、岩壁の表面を永久的に変えてしまう前に、ヨセミテのルートの歴史や伝統に詳しい地元のクライマーに相談をすべきである。ボルトの設置や撤去より、岩が傷つけられるのを見たい者はいない。
出典:National Park Service. “Yosemite, Climbing Regulations”.(2024年5月6日) |
今回のドラフト書面は従来の方針と何が異なるのか
それでは今回発表されたドラフト書面は、従来の方針と何がどう異なっているのだろうか。
今回の書面は6つのセクションと3つの付録から成り立っているが、セクション1「背景と目的」では「クライミングは、原生自然保護地域の利用方法として合法かつ適切なものである」という従来の見解が再確認されており、この点においては変更はない。
しかしながら従来の書面では「国立公園内においてはボルトの新規設置には承認が必要」「ボルトの撤去もしくは交換については承認が必要な場合もある」とやや曖昧になっていたものが、今回のドラフトでは、固定支点は「原生自然法(Wilderness Act)第4条(c)により禁止されている」ものとみなされ、「最小要件分析(Minimum Requirement Analysis)を通じて、原生自然法の目的を達するために管理上、必要最低限と決定された場合のみ、承認される場合がある」という書き方になっており、新規設置・交換・撤去のすべてにおいて事前の「最小要件分析」と「承認」が必須となっている。
またセクション3以降では、固定支点の申請手順、最小要件分析手順、承認手順の詳細が述べられている。
アクセスファンドの主張
このドラフト書面に対し、アクセスファンドでは以下の5点を中心に、反対意見を表明している。
Access Fund「Action Alert: Stop the Bolt Prohibition!」より一部抜粋の上、翻訳
●(クライミング用の)固定支点はクライマーの安全確保システムとして不可欠なものであり、原生自然法で禁止されている「設置物(Installments)」には該当しない。過去半世紀以上にわたり、思慮分別ある固定支点の使用が認められてきた既存のクライミング方針を守っていけば、原始的で制限のない原生自然地域でのクライミングの機会を提供しつつ、原生自然環境の特性を保護することができる。 ●過去数十年にわたって連邦機関は固定支点を許可、管理し、承認してきたにもかかわらず、(今になって)連邦政府が全米の原生自然地域におけるクライミング支点を禁止する新しい指導方針を作成するのは理にかなっていない。 ●固定支点の禁止はクライミングコミュニティが責任を担ってきた固定支点の定期的なメンテナンスに対する不必要な障害となり、安全上の問題が生まれる。往々にして安全に関する重大な意志決定はその瞬間に行なわれる必要があり、承認プロセスがこれらの意思決定を妨げるものであってはならない。固定支点のメンテナンスは、支点の安全な交換を奨励するように管理される必要があり、クライミングルートが廃れてしまうような危険を冒してはならない。 ●固定支点の禁止は原生自然地域における適切な探索を阻む。土地の管理者は、複雑な垂直の地形を縫って進む際に必要とされるされるその場その場での意思決定を認める形で、クライマーが原生自然を探索することを認める必要がある。 ●固定支点の禁止はアメリカの豊かなクライミングの伝統を脅かし、いくつかの世界的なクライミングの偉業を消し去りかねない。クライミング管理政策は、既存のルートがなくなってしまうことがないよう、既存のルートを保護する必要がある。
出典:Access Fund. “Action Alert: Stop the Bolt Prohibition!”.(2024年4月26日) |
今後、どうなっていくのか
現在、米国下院にて、EXPLORE Act(Expanding Public Land Outdoor Recreation Experiences Act/公有地におけるアウトドアレクリエーション体験の拡大に関する法律)という名のレクリエーションに関する一括法案のなかで、人気のある公共エリアの土地の管理をいつどのように進めるべきかの議論が行なわれている。そのなかにPARC Act(Protecting America’s Recreation and Conservation Act/米国のレクリエーションの保護と保全に関する法律)というものがあり、アクセスファンドではPARC Actのなかで、アクセスファンドの意向が反映されるよう熱心に働きかけを行なっているとのこと。
具体的には以下の3つの取り組みを進めている模様だ。
Access Fund「What's Next for Wilderness Climbing?」より一部抜粋の上、翻訳
●クライマーを代表して意見を上げるために、米国連邦議会の超党派を呼び集め、NPSとUSFS(アメリカ森林局)にドラフトを破棄し、公的で利害関係者主導のプロセスをやり直すよう求める。 ●市民参加により原生自然におけるクライミングの手引きを書くプロセスを再開させ、原生自然におけるクライミングを守るよう大統領に求める嘆願書と共に、バイデン政権にクライマーの声を届ける。 ●固定支点を保護する規定が含まれているAmerica’s Outdoor Recreation Act(アメリカのアウトドアレクリエーションに関する法律)とEXPLORE Actを前進させる。
出典:Access Fund “What's Next for Wilderness Climbing?”(2024年5月6日) |
おわりに
一昨年、環境省自然保護課の方々と面談する機会があったが、環境省としても米国など海外における固定支点の規制などについては関心があるようだ。米国における固定支点規制の動向が、日本国内の国立公園におけるクライミングにも影響を与える可能性があるので、今後どのような方向に進んでいくのか、引き続き注視していきたい。
いしなべ・れい 1975年東京生まれ。オーストラリア・ボンド大学経営学修士(MBA)。
14歳でフリークライミングを始め、学生時代はクライミングジムでバイトをしながら、国内外でクライミングに没頭。大学卒業後、20年弱のブランクを経てクライミングを再開し、2018年にエル・キャピタン、ノーズなどを登攀。現在は外資スタートアップ企業で働きながら、アルパインクライミング推進協議会の専務理事として事務局運営、海外事例調査などを担当。
この記事は山と溪谷社刊『ROCK&SNOW 099』に掲載された記事を編集・掲載したものです。
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