文・写真=菊地敏之(アルパインクライミング推進協議会会長)
少々古いが、私自身は1970年代の半ばに初めて一ノ倉沢を訪れ、それ以後、自分のクライミングやガイドなどで何度となくこの谷に足を運んできた。特に10~20代のころは、当時の同年代の人たちと同じく、現役のクライマーとしてここにはずいぶんと通い詰めた。その後はさすがに赴く機会は減ったが、今でもたまに行けばそれなりに「勝手知ったる」感が蘇り、懐かしさと親しみが込み上げてくる。
しかし、そんな慣れ親しんだはずのこの谷も、近年の変わりようにはかなり驚く。その変わりようとは、まずブッシュの繁茂がすさまじいこと。そして、それ以上に大きく変わったのは、クライマーが本当に少なくなったことだ。そしてそれゆえ、ルートが荒れ、かなり特定かつ少数の人気ルート以外は登れるように見えなくすらなってしまっている。
数年前、烏帽子奥壁ダイレクトルートを久々に登ったのだが、そこの核心、変形チムニー上の左上ピッチを、あまりに古びた残置ハーケン、ボルトに恐れをなして、昔は無かったスモールカムなどを多用しながらなんとか越えると、なんと上のテラスにビレイ支点が無い。昔の記憶で上のチムニーまで行けば残置ハーケンがあるはずだと思ってさらにロープを延ばすが、どこまで行っても残置支点は見つからない。しかもこのあたりは岩に節理がないため、カムも全然使えない。結局、ロープいっぱい延ばした状態でのコンテという、あってはならないスタイルでそのまま登り切り、烏帽子岩直下のルンゼに抜けることができた。しかしそこから南稜下降点までの深いササヤブ(昔はごく普通に歩いて行けたと思ったのだが)が、また悪かったこと! 久々に「谷川岳の悪さ」を堪能した一日だった。
それにしても、あの烏帽子ダイレクトがこんなにも完全に"死んでる"とは意外だった。烏帽子ダイレクトといえばかつてはこの壁の名ルート中の名ルートで、70年代などは行けば必ず誰かが登っているような所だった。私も何度か登った。のみならず、70年代後期というのはアルパインルートでのスピード継続登攀が流行った時期でもあり、私もそれに倣ってこのルートをかなり乱暴に駆け登りさえした覚えがある。
だがそのルートが、もはやまともに登れなくなっている。これは1970年代のこの谷の様相を知る身としては、実に信じられない思いだった。
思えば70年代というのは、日本全国Ⅳ級A1という悪しき実態はあったものの、多くのルートが多くのクライマーに登られているという点では確かにアルパインクライミング全盛と呼べる時代ではあった。一ノ倉沢などに行けば烏帽子や衝立のほとんどすべてのルートにまんべんなくクライマーが張り付いており、滝沢スラブや本谷奥壁にも必ずといっていいほどクライマーの姿が見えた。そしてそれぞれが、この谷で「悪さを克服する」を本意としたアルパインクライミングを追及していた。
しかし今は、そういう価値観は、どうも忘れ去られている、あるいは避けられている。ように、古い人間としては感じられて仕方がない。
自分が現役を退いてガイドをやっていた時期(90年代後半~2010年くらい)にはすでに一極集中というか、人気ルートばかりが混んで他はガラガラという状況は始まっていたが、それは近年、とみに進んでいるように見える。ネットなどを覗いても、南稜と中央稜ばかり。稀に中央カンテなども見るが、それ以外のレポートなどまったくといっていいほど出てこない。
といって自分自身、他のルートを登ろうと思って行っても、生い茂るブッシュや長らく登られてないゆえに浮いてしまっていそうな岩などについつい尻込みしてしまう。それは多くのクライマーにとってもおそらく同じことだろう。結果、登られるルートと登られないルートの差は、ますます開いてしまう。岩場そのものの危険度もますます高まっていく。
一昨年も幽ノ沢に行って久々に中央壁を目指したのだが、下から見上げただけでも恐れを抱くほどのあまりのブッシュの激しさに取り付くことすらできず、あえなく敗退。唯一先行パーティがいたⅤ字右を人の尻を追いかけて登るにとどまってしまった。しかしそれでも壁を抜けた後の、昔は何も考えずに歩けたはずの堅炭尾根の道がひどかったこと。ヤブがひどくてラインもわかりづらく、迷いに迷って土合に着いたのは夜中の12時をまわってしまうというありさまだった。
自分の弱さを棚に上げて言うのもなんだが、こうした状況では確かにアルパインクライミングは衰退していくばかりだろう。いかにアルパインクライミングが「自分の力で」登るものだとはいえ、ここまで状況がひどいとそれも机上の理想論に過ぎなく感じられる。実際、我々が昔ここを縦横無尽に登っていた時だって、先人が打った支点にほとんど助けられていた。そうして、このジャンルのクライミングを密に学んできたのである。
だが最近、この谷に関しては状況は少し変わってきているようだ。前述した今の危機的な状況に同じように問題を感じた地元有志によって、いくつかのルートが支点整備されはじめているのである。支点整備といってもビレイ点だけのようだが(中間支点に関してはアルパインクライミングの本質を損なわないために据え置いてあるようだ)、それでもそこがしっかりした支点になれば、状況はかなり変わる。そのルートを登ってみようというクライマーも徐々に出てくるに違いない。実際、我々があの時登攀不可能と感じた幽ノ沢中央壁も、支点が整備された後は数パーティが登ったという話を人づてに聞いている。
こうしたボルト整備は、しかし谷川岳の岩場は国立公園内であるので、おそらく正式な手続きを踏んでのことではないだろう。だが上に述べたように今やアルパインクライミングの現状は、まさに待ったなしの状態まで来ている。それを思えば、我々(アルパインクライミング推進協議会)も、こうした地元有志の動きに力を貸すべきと考える。それはもちろん我々の立場からすれば法的にこれらをクリアにするという意味だが、それはこの谷川岳のみならず、日本全国に広げられるべきものであるように、強く思う。
この記事は山と溪谷社刊『ROCK&SNOW 100』に掲載された記事を編集・掲載したものです。
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